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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和37年(少)1948号 決定 1963年1月23日

少年 K(昭一八・四・二七生)

主文

少年を特別少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は昭和三七年二月頃から熊本県荒尾市の暴力団山代組及びかつて同組の幹部であつた○塚○郎を首領とす新興暴力団稲塚組と深く馴染み自ら保護者の許を離れて右暴力団関係者と寝食行動を共にし、その間なんら正当な理由がなく家庭に寄り附かず且つ犯罪者、ヤクザ、非行少年等犯罪性のある人若しくは不道徳な人との交際を続けていたものであるが、昭和三七年一一月一九日頃から同月二四日頃までの間、○塚組所属のNがかねて反目していた大牟田市居住のヤクザBから受けた傷害事件に端を発し右両者に応援するヤクザ相互間において数次の暴力事件が発生したが、同月一九日午前三時頃、○塚組村上浩二ことTを中心とする同組々員前記N、K、S、M、Aの六名が拳銃、日本刀等を所持した上前記B殺害の目的で同人方を襲い、殺人未遂事件を惹起した際、同組々員Hと共に○塚組の事務所に残つてT等のために留守番役を引受けたばかりかT等の跡を追つてB方に駆けつける等の所業に及んだもので、少年の性格環境に照し、将来罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をする虞がある。

(適条)

少年法第三条第一項第三号

なお、本件送致事実については、Aの司法警察員に対する供述調書謄本によれば、右事実に副う供述があるが遽に措信できず他に少年じしんBに対して殺人未遂の実行に出たことはもちろんT等とBの殺害を共謀したことを認めしめる証拠はないので、送致に係る殺人未遂の事実は認定しない。

(処遇上の主な問題点)

一、非行歴等  少年は未だ保護処分の経験はないが、中学校時代三、四回喧嘩等し、昭和三四年一月頃(中学三年)暴行、傷害事件を起しており(昭和三四年六月三日不処分決定)、組暴非行の傾向が一応窺える。同年四月、一旦は高校に進学したが、学業を好まず、僅に一週間で自ら退学しており、怠惰癖が中学時代から当時にかけかなり固定した状態にあつたことが推認される。同年四月頃から昭和三七年二月頃迄二つの職場に出稼ぎ就職をしたが、いずれも永続きせず生業意欲に乏しいことが認められる。昭和三七年二月頃山代組と接触し始めてから少年の非行度は急速に高まり、遊興を好んで生業に就かず、不良交友、夜間における繁華街徘徊果ては家庭を離れて暴力団内部で寝食をなす等無為徒食の生活に深く親しみ同年八月頃○塚組に移つてからも喫煙、飲酒はもちろん従前の虞犯的な生活態度に変りなく、成人直前の現在覚醒のきざしは全く認められない。

一、環境  少年の交友範囲は殆んどが山代組○塚組等の暴力団員と目される者で、その多くは犯罪者又は非行少年である。例えば少年が交際していたとみられるS、K、A、U、H、M等はいずれも前記殺人未遂事件等により既に少年院在院中であり、不良交友は著しく顕著であつて環境改善の見込みはない。一方家庭環境をみると、父母には少年を適切に監護する能力のないことが明らかである。即ち、少年が暴力団内部で寝食するようになつた後、時折帰宅しても少年を激励叱咤して生業に就かしめるでもなく、少年が次第に家庭に寄り附かなくなつても交友環境改善のため自ら積極的に努力した形跡は殆ど窺えないのであつて、少年の暴力崇拝の性癖に対処する具体的方策に窮し、拱手してその儘放置していたことが認められるにすぎない。また暴力団関係では保護観察の実効を期することは多く至難であり本件もその例外ではないと認められる外在宅保護を可能ならしめるべき環境資源は何もない。

一、資質  少年の知能は準普通(IQ八五)であるが、暴力団との接触に対する反省心は全く認められないばかりかヤクザ、暴力団等との親和性が極めて強い性向を有し、虚言を弄し怠惰且つ粗暴な言動を誇示する態度が身についており、性格上の問題は多い。この点在宅保護により暴力団から少年を隔離することは極めて困難である。

一、虞犯の態様  前記T等の殺人未遂事件に当り少年がT等と行動を共にしなかつたのは自動車の余裕がなかつたという専ら偶然の事情によるものであること、自発的にT等の跡を追つたこと等から明らかなとおり虞犯性は高い。

以上の次第で少年の非行度は高く、この際特別少年院に隔離収容して暴力団との接触を断つ機会を与えると同時に職業補導等を中心とする規律ある生活教育を通じて生業意欲の涵養を期すべきが相当である。

よつて少年法第二四条第一項第三号、少年院法第二条、少年審判規則第三七条第一項に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 鍋山健)

参考

抗告審の決定(福岡高裁 昭三八(く)一二号 昭三八・二・二六刑二部決定 附添人弁護士抗告)

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由は抗告人提出の抗告申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

よつて按ずるに、本件抗告理由の第一点は、原決定が少年を虞犯と認定したことは決定に影響を及ぼす法令の違反又は事実の重大な誤認があるというにある。しかし、本件記録及び少年調査記録に徴すると、少年は昭和三七年二月頃就職先である名古屋市より実家に帰来して間もない頃から荒尾市の暴力団山代組に出入するようになり、次いで同組内に寝泊りするようになつたが、同年八月頃同組の最高幹部○塚○郎が独立して興行社を作るに至り、大牟田市中島町の同社事務所に寝泊りして、同組輩下の村上浩二こと、T、N其他の組員等と深く馴染み、暴力団関係のヤクザ仲間と寝食、行動を共にしていたものであつて、昭和三七年一一月一九日午前三時頃○塚組のT等がBを殺害する目的で同人方を襲つた事件に際しては、少年は当夜荒尾市四ツ山に遊びに行つていたが、仲間のUが酒に酔つているのに出会い、自動車を雇つて○塚の事務所に連れ帰つたところ、T等がB方に兇器を携えて押しかけて行こうとしており、少年の乗つて来た自動車に乗り込んだので、自らも一度はこれに乗り込んだが、Tから留守番役を命ぜられて下車し、後刻Hと共にB方に駆けつける途中、先の連中が婦つて来るのに出会つて引返した状況にあり、従つてT等と殺人の共謀の点については明確でないが、これに加担しなかつたのは全くの偶然の事情によるものであることが明らかである。そして少年は何等正当な理由がなく家庭に寄り附かず、○塚組の組員等犯罪者その他犯罪性ある人と交際を続けていたものであり、且つ保護者の正当な監督に服しない、また徳性を害する行為をなす性癖があることも推測するに難くなく、少年の性格、環境が原決定に説示のごときものであることが窺われることに鑑みると、将来罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をする虞があるものと認定した原決定は洵に相当であり、所論のごとき法令の違反又は著しい事実の誤認があるということはできない。

次に抗告理由第二点は、原決定の特別少年院送致の処分は著しく不当であるというにある。しかし、前記記録によると、少年は未だ保護処分を受けた経験こそないけれども、中学時代から、粗暴、非行の傾向があり、農業高校に進学後一週間で自ら退学し、名古屋市に就職したが、職場を変え、いずれも永続きせず、昭和三七年二月頃郷里に帰来しても殆ど自家の農業の手伝をした事跡は見られず、生業意欲が乏しいことが窺われるばかりか、山代組に出入するようになつてからは遊興を好み、喫煙、飲酒の習癖をつけ、夜間繁華街を徘徊し、山代組、次いで○塚組に寝泊りする以外はバーの女などと外泊等、家庭を離れて暴力団の内部で無為徒食の生活を続けており、その交友は暴力団員で、殆どが犯罪者又は非行少年である上に少年の父、母は、少年が名古屋市から帰来して以来家庭に寄り附かなくなつたのを放置し、何等方策を講じた事跡が見られない状況に徴しても、その監護も教育の熱意並びに能力には大いに危惧の念を抱かしめるのがあることが明らかである。尤も、実父は現在においては、少年の為め製材業を営ませるべく準備をしており、実母も目下看護婦の勤めをやめて相協力して今後の指導、監督に当る意向を示しているが、前述したような状況にあり、特に暴力団関係の不良交友を持つ年長の本少年に対しては、両親の叙上のごとき意向に拘らず、監護、指導の実効を挙げることは至難に近く、なるほど、肉親の情愛からして特別施設に収用されることを好まない気持は理解し得られないではないが、本少年のごとき年長少年に対し、現在その処遇を誤らんか、間もなく成年に達し、爾後少年としての保護処分を受けることができなくなることに思を致し、少年の真の改善と将来の幸福を念願するならば、右のごとき情に流されようとする気持を克服するのが賢明であると思料されるのであつて、原決定の処遇を批難するのは、保護処分と刑事処分とを混同するものとの譏を免れない。従つて、原審が少年を収容し、暴力団との接触を断つと同時に職業補導を中心とする規律ある生活教育を通じて、生業意欲の涵養を図る必要があると認めて、特別少年院送致の決定を為したのは相当であつて、右処分に著しい不当があるとの所論には賛成し難い。

よつて少年法第三三条第一項、少年審判規則第五〇条に則り、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 中村荘十郎 裁判官 臼杵勉)

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